こんにちは、ジョンです。
先日、ふろむださんの「学習効率本5巻」を読みました。
その中で「学習アトム」という表現が登場します。
【学習アトム】は、「ジャンル」でも「時間」でもなく、「個別知識」である。
学習効率本5巻上 220413 より引用
これは
Obsidian における「Atomic notes」
Ankiの「最小情報原則」
に近いものが有ると感じています。
今回は学習アトム、については深く触れませんが、それと近い概念、についてまずは見ていきましょう。
ドゥルーズ「ヴァーチャルとアクチュアル」から見た関係性の絡み合い
さて、千葉雅也さん著、「現代思想入門」には、存在の脱構築、その過程で「ヴァーチャルとアクチュアル」という概念が登場します。
AとかBとか抽象的な概念だと分かりにくいので、例を挙げてみましょう。
例えば「私がmedu4を見る」という状況を考えます。
そこには「私」という存在と、「medu4」というもう一つの存在、対象があります。
これは主語、述語の関係性を持って、「私が/medu4を見る」という風に書くことができますよね。
しかし実際には、この「私」と「medu4」は複雑に絡み合っています。
「私」と「medu4」が絡み合っている‥?
どういう事でしょうか。
「私」はまず「medu4」を見るためにパソコンを起動しています。
それだけではありません。
パソコンのGoogle Chrome使ってmedu4.netを開き、自分が見ようとしている授業を選択、イヤホンを耳に付ける。穂澄先生の動きと声を見つつ聞きつつ、iPadにダウンロードしたテキストに書き込む作業を行っている。
Apple pencil の充電が無くなりそうだな、と思ったらプラグにぶっ刺して、5分ほど空を眺める。穂澄先生が話している言葉を頭の中で反芻し、「あ、これは大学の授業でもやったな」と思ったらそのページを開き、「聞き逃した」と言って動画を30秒戻す。
。
。。
。。。
ここで挙げたのはほんの一部ですが、この様に「私」と「medu4」以外に複雑な関係性が絡まり合って、「私がmedu4を見る」という状況が発生している訳です。
これを千葉雅也さんは書籍の中で、
「意識レベルで現れている主語ー目的語の関係性の下に複雑な線がいたるところに伸びていて、関係の糸の絡まり合いの様になっている。」
と表現しています。
この「私」「medu4」という現実に見えているものが「アクチュアル」
その主語と目的語の背後で絡まりあった、諸々の関係性のこと(Google chromeを開くとか、iPadでメモを取る、などのことです)が「ヴァーチャル」
です。
少しイメージを持ってもらえたのでは無いでしょうか。
1つの記事、書くこと1つ- Obsidian の作り方
さて、ここからはObsidian の話をしていきます。
「1つの記事、書くこと1つ」という見出しにも有るように、Obsidian のNote はコンセプトが端的に書かれる事が好まれます。
2020年12月にjMatsuzakiさんが作成した記事「ノートは明確なコンセプトをもって書く」に端を発した考えです。
Obsidian などのテキストエディタ(ノートテイクツール) はPKM(Personal Knowledge Management)と呼ばれます。
PKMの領域で広く知られているAndy Matuschak氏が出したノートテイキングメソッド「Evergreen notes」には、次の様に書かれています。
この、”Concept-oriented”とは、どの様なことを意味しているのでしょうか。
私はここに、先程紹介したドゥルーズの「ヴァーチャルとアクチュアル」が関係するように思うのです。
私たちは普段、表面的に映る主語ー述語の関係でノートを作ります。もしかすると単語、概念、でノートを作っているかもしれません。
例えば医学部の学生であれば、
「肺炎」「出血」「肺癌」「発生学」
等の概念をタイトルに付けたNote を作成している人は多いのではないでしょうか。
今日の記事は「こうやってNoteを作成しろ」とか、「このノートの作り方は良くない」とか、そういう話をしているものではありません。ただ、今日紹介するような方法で使うと、より概念同士の結びつきがハッキリ見えてくるんじゃないかな、という意味合いで捉えて下さい。
閑話休題
先に提示した「肺炎」「出血」というタイトルは、アクチュアルな部分しか見えていません。
再度、千葉さんの言葉を引用します。
我々が経験している世界は、通常は、A、B、C、‥‥という独立したものが現働的(アクチュアル)に存在していると認識しているわけですが、実はありとあらゆる方向に、すべてのものが複雑に絡まり合っているヴァーチャルな次元あって、それこそが世界の本当のあり方なのだ、というのがドゥルーズの世界観なのです。
千葉雅也, 現代思想入門, p50 より引用。一部作者改変
この「すべてのものが複雑に絡まり合っている」というのは実はObsidian の中でもかねてより言われていることなのです。
LYT(Linking your thinking)という考え方
LYT(Linking your thinking)という考えを提唱したNick Milo さんはLYTの効用として、こう述べています。
I like to make my digital library super robust. That means I have several avenues built-in to re-discover a note. I find this process of “connecting to conceptual cousins” further cements each idea into my memory. It sort of tethers things in place like Wolverine, or if you prefer, like a bug caught on a spider web.
(私は自分のデジタルライブラリーを非常に強固なものにしたいと思っています。
つまり、ノートを再発見するための手段をいくつか用意しておくのです。
このように「概念のいとこ同士をつなぐ」ことで、それぞれのアイデアをより強固に記憶することができるのです。まるでウルヴァリンのように、あるいは蜘蛛の巣にかかった虫のように、物事を固定することができるのです。)
言ってみればObsidian(の様なノート同士をリンクさせる機能があるテキストエディタ)は、ドゥルーズのヴァーチャルな世界観、を体現する可能性を秘めている、ということになるのです。
どうです、なんだかObsidian が触りたくなって来たんじゃないでしょうか。
ヴァーチャルなレベルのNote Taking- ノートを「開いていく」感覚
さて、では実際にヴァーチャルな関係性を意識したNote 作りを始めましょう。
とは言っても最初はアクチュアルなレベルで良いのです。
例えば「膵臓癌の外科治療方針は3期に分類される」というタイトルでノートを作成した、としましょう。
Concept-oriented というのは、「ノートのタイトルを見ただけで何について書いてあるのか分かる」という物に近いです。
このタイトルからは、「(肝細胞癌でも乳癌でも前立腺癌でもなく)膵臓癌」の、「(化学療法ではなく放射線療法でもなく)外科的治療」の方針が書いてあるんだろうな、ということが推測できます。
個人的にはこの「〇〇ではなく」がヴァーチャルな関係性を意識する第1歩だと考えています。
このノートをヴァーチャルな次元で見ていきましょう。
例えば「ダイナミックCT画像」の所見の見方は、膵臓癌の診断に於いて非常に重要になります。
膵臓癌は(多血性ではなく)乏血性腫瘍であり、ダイナミックCT画像では他の膵臓組織と比べて低吸収(黒っぽい)に見えます。これが特徴です。
こういう理解が前提となって「膵ダイナミックCT画像に基づいた~」という文章が構成されているのであれば、[[膵臓癌に於けるダイナミックCT撮影方法]]というノートを作成します。
例えばこちらの特集は、膵癌取り扱い規約第7版の解説、がなされており、ダイナミックCTに関しての記述も豊富そうだな、と分かります。
先程作成したObsidianの[[膵臓癌に於けるダイナミックCT撮影方法]]の中に、こちらの特集の内容を転記/加筆します。例えば、こんな風に。
この様にして、元となるノートに書いてあった文言の「背景」にある知識、「それ当たり前じゃん」で済ましてきた知識に関するノートを順番に作成→リンクさせていきます。
最終的には、こんな感じになります。
グラフ(それぞれのNote 間の絡まり合い)はこんな感じ。
これはほんの1例ですが、この様な要領で、1つ1つのノートを作成していきます。
Concept-orientedなノートの効用が現れるのは5年、10年と月日が流れ、そのノートの数が膨大になった時です。
自分が知りたい情報が、知りたい情報だけ載っている。
そんなノートになっていることでしょう。
今日の記事は一旦「Obsidian のAtomic Notes の作り方」として終えますが、
この考え方を用いてAnkiカードを作成する、という記事も今後出していこうと思います。
ここまで読んで頂き、ありがとうございます!
ではまた。
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