「大学の授業を面白くするマインドセット」について

医学
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例えば、「1桁の足し算引き算、2桁の足し算引き算」に関する動画を4時間視聴させられることになったら、どうやって4時間過ごすだろうか。

例えば「片道4時間の電車旅、途中は圏外でネットサーフィンは出来ない。本も読めない、音楽も聞けない」としたら、どうやって4時間過ごすだろうか。

これらは全て「面白くない」「暇」だと想定される環境を挙げたものである。

こんにちは、ジョンです。
大学で実習が始まると「8時間続く手術の見学」が有るよ、と耳にしました。

8時間も何をするんだ‥

これを受けて、自分はどういう状況を楽しいと感じるのだろうか、ということについて考えてみようと思います。

 

この他にも「大学の授業」「8時間の職場見学」等、つまらない環境に暴露するタイミングはいくらでもあると思う。「なんでこんなことしなくちゃならんのだ」「俺はもっと面白いことがやりたい」と考える瞬間は山の様に訪れるだろう。

これからお話するマインドセットで取り組むことで、その瞬間が少し減るのでは無いか。そんなことを目指している。

では、はじめていきましょう。

Why: 「なぜ」それは面白くないのか?

例えば最初の「1桁の足し算引き算、2桁の足し算引き算の動画を視聴する」に対して「面白くない」と思ったのは、何故だろうか?

  • 自分は既にその内容を理解しているから

この様な理由が最初に挙げられるだろう。

Who: その動画/授業のターゲットは誰か

1桁の足し算引き算の動画は、誰をターゲットにしているのか、考えたことはあるだろうか?

例えば「小学校に入学したばかりの小学1年生」「小学校に入学前の幼稚園年長さん」「小学1年生の数学を復習したいと考える2年生」等が挙げられる。つまり、今この記事を見ている貴方は、そのターゲットではない(小学1年生の人が見ていたら、それはそれでびっくりする)

何故?」を考えた次は「誰に向けて?」である。例えば小学1年生の、本当に算数をはじめて学習する人に対して、どの様な説明がなされるのだろうか。

小学校入学前の学生でも、両手で数えられる位(10まで)は数えられるだろうが、そこをターゲットにしている動画というのは、どの様に趣向を凝らしているのか。

少し気になって来たのではないだろうか。

つまり、「1桁の足し算引き算」自体は面白くないが、「足し算引き算の初学者に対してどの様な伝え方をするのか」というプロセスに注目し、そこに面白さが有るのではないか、ということである。

Why: 何故?から、その原因を分類する

ここからは「大学の授業がクッソ面白くない人」に焦点を当てていきたいと思う。

まずは足し算引き算の事例と同じく、「何故大学の授業が面白くないのか?」ということを考える。

例えば

  • 内容が理解できない
  • スライドが見にくい
  • 長い(集中が切れて他のことをしてしまう)

等がその理由として挙げられるだろう。

これに対しても、同様に考えを深めてみる。

Why?で挙げた理由を深める: その原因は「誰」or「どこ」にあるか

例えば「内容が理解できない」という理由に対して、誰が原因? どこが分からない?と、更に自問自答する。

☆誰: 自分か、自分以外か。

★どこ: 全部? 部分的に?

☆例えば「自分」に原因がある場合。

自分の知識が足りていない」から、「授業の内容についていけず」、内容が右から左に流れていってしまい、「面白くない」と感じる。これは多くの人が経験したことがあると思う。

☆例えば「自分以外」に原因がある場合。

先生が「イキナリ専門性の高い話を始め」、余りにも「話す速度がゆっくりのため聞くに耐えなかった」。だから「面白くない」と感じる。

 

 

最も、現実はこの両方が混ざり合って「面白くない」状況が作り出されていると思う。100%先生が悪い、100%自分が悪い、ということはまず無いだろう。

ここまでで、自分が授業を理解できない理由が明らかになってきた。

  • 自分の知識不足
  • 専門性の高い話から始まる
  • 話す速度が不適切である

が現在分かっていることである。

ここまで来て、授業そのものではなく授業を受けている「自分の感情」や「そう考える理由」に焦点があたっていることにお気付きだろうか。

「授業が面白くない」と言っていても、解決しないのである。

しかし、「どうして面白くないのか?」と考えることで対策を練ることが出来るのだ。

自問自答して得られた回答に、更に質問を投げかける

上で挙げた「専門性の高い話から始まる」を更に深めてみよう

その授業は、一体誰をターゲットにした授業なのだろうか

これについて考えてみよう。具体的に言えば、先生は学生がどれくらいのレベルの知識を持っている前提で話をしているのだろうか

例えば医学分野の、糖尿病という分野に関する授業を考えてみる。

授業で「症例」を提示する先生は多い。しかしその説明の際、「筋細胞や脂肪細胞にはGLUT4が存在しており、インスリンはそのトランスポーターを細胞表面へと誘導し、細胞内にグルコースが導入される様な働きをする」という説明はなされない。

多くの場合「インスリンを投与することで血糖値が下がる」「治療にはインスリンの他にピオグリタゾン塩酸塩を用いる」など、実際に患者を治療するためにはどうすればよいのか、という部分から説明がなされる。

「ピオグリタゾン塩酸塩の機序」は理解している前提で話が進んでいるのだ。

先生は「インスリンが血糖値を下げる機序」「糖尿病の治療として使用されるピオグリタゾン塩酸塩はどの様な作用で血糖値を下げる」などの知識が学生側にあると想定し、その部分をスキップしてスライドを作成した、ということである。

逆にスライドに提示されている部分というのは、先生が理解して欲しい、と思って追加したものだと考えることが出来るのだ。

今回はここで止めるが、例えば「その先生の学生像は適切なのだろうか」「先生の学生像と受講学生のレベルに差が出ている場合、どうしてその様なことが発生してしまったのだろうか」と更に質問を深めることが出来る。

考える必須条件: 考える「体力」は残っているか?

今まで「1桁/2桁の足し算引き算」「糖尿病に関する授業」の話をしてきた。

どちらの場合もそれ自体は面白くない/理解できないが、「どうしてそう思うのか」という自分の感情の変化に対して疑問を投げかける。

それを考えることで「自分はこういうことが好き/嫌いなのか」ということもハッキリしてくるだろう。面白くない授業を受ける過程で、自分の趣味嗜好が分かるなんて夢の様な話ではないだろうか。

夢の様なこの作業をする上で、一つだけ確認するべきことがある。
それが、「考える体力は残っているか?」である。

例えば「朝から晩まで働いた後に、家に帰って勉強する」という状況を考えよう。精神的/肉体的に体力があるときには面白くないことを考えようか、という気分に無理やり持っていくことが出来るだろう。

しかし、一日中働いて疲労困憊の状態ではその余裕は消え去る。

こんな時には、「どうして自分はコレを面白くないと受け取っているのだろう」ということさえも考えたくない

そんな時は素直に昼寝をすることをオススメする。

最後に: 疑問を立てることで人生を楽しくする

発明王として知られるエジソンは、子供時代あらゆるものに対して「なぜ?」「どうして?」という疑問を投げかけ、大人を困らせたという逸話で知られています。知的好奇心の赴くまま、あらゆることに興味を持っていた時代が皆さんにもあったのではないかと思います。

高校、大学と年を重ねるにつれて知的好奇心ではなく「学校から受けろと言われたから受ける」「テストで出ると言われたから勉強する」というように、受け身な姿勢になってはいないでしょうか?

今日お話した内容は全て「自分で問いを立てる」、つまり「なぜ?どうして?」を言おう!ということに集約することが出来ます。

最初は些細なことで構いません。

オンライン授業を受けているなら
「この人はどんな環境で授業を中継しているのだろう」
「この人は何故この授業を担当しているのだろう」
「この授業はカリキュラムの中でどこに該当するのだろう」と。
こんなこと他人に言ったら変な顔されるかもしれない、そんな疑問から初めてみましょう。

実は澄ました顔をしているだけで、気になっている人が多いかもしれませんよ?

考えるだけなら、誰にも咎められることはありませんから。

 

それでは、また。

 

知的好奇心に従って考えることは、「妄想する」と表現することも出来ます。

こちらの記事では「東京大学物語」という漫画のあとがきから「妄想の重要さ」について触れています。

東京大学物語に学ぶ – 貴方の「妄想力」はどれくらい残っているか? 

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