東京大学物語に学ぶ – 貴方の「妄想力」はどれくらい残っているか?

日常
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CBT試験が終わり、学生生活も残す所「臨床実習」「卒業試験」「国家試験」かぁ‥ずっと勉強してそうだな‥なんだコレ‥

おおっと、失礼、妄想を膨らませていました。こんにちは、ジョンです。
※ CBTが終わったところまでは現実です。ココ大事。

最近「東京大学物語」という漫画を読みました。
主人公の妄想が全部地の文/セリフとして入っているので、ハンターハンターの次くらいに読みにくさ、を感じたものです。(いや、なんならそれ以上か‥)

今日はそんな「東京大学物語」の作者あとがきが的を射た表現だなと感じ、記事を書きました。

貴方が現実と思っている現実は、どこまでが現実なのか?

まずはそのあとがきを見ることにしましょう。

貴方が、現実と思っている現実とはどこまで現実なのだろうか?
見たり聞いたり感じたりして得た情報を貴方の頭の中でまとめて、現実というものを決めているのではないだろうか?
貴方が現実と思っているものの中には、貴方の傷つき易い心に、都合のいい妄想が多分に含まれていないだろうか?
(中略)
現実が妄想を否定してしまった時、現実を認め古い妄想を捨て、新しい妄想が出来る人、古い妄想を持ち続けたいために妄想の上塗りをして誤魔化してしまう人、人生の局面で人はどちらかに分かれていく。
どんな状況でも、状況を認め、次なる妄想を色んなパターンで新しく創れるものは、必ず幸せになる

-『東京大学物語』 34巻 ”あとがき”より。改行、太字はブログ作成者によるもの

この漫画が始まったのが1992年、完結したのが2001年である。約20年前の作品であるが、2021年に通じることが多いと感じます。

この漫画は、主に2人の東大生の対比が中心となって描かれている。
ひとりが村上直樹、高学歴こそ全て、東京大学に行くことこそ素晴らしい、という官僚主義妄想を抱く高校3年生である。
もうひとりが水野遥、村上とは逆で、子供の様な想像力を持ち続ける存在です。

「学歴至上主義」「官僚主義」を持っている人ほど妄想パターンが減らされ、現実と噛み合わなくなり、破綻する、という描写がなされています。

途中、二人が旅行をするシーンが登場する。
そこで村上は「自分が東京大学文Ⅰ生である」、ということを周囲にひけらかし、注目を浴びる。しかし水野は村上のような学歴至上主義をよく思っていない節があり、学歴(所属)を明らかにすることはしない。
結果として学歴を開示した村上が人気者となります。

この続きで、旅行中立ち寄った街で二人が教育を行う場面があります。
そこでは、この「学歴至上主義」「官僚主義」を持っていることで、子どもたちへの教育がどう変化するか、ということが如実に描写されていました。

学歴至上主義をもつ村上(本人は気がついていない)は「学校で良い点数が取れるように」「試験で満点を取れるように」という教え方をする。
片や水野は、生徒がのびのびと、自分の妄想を否定しないような教え方をする。

【学校の点数】 という観点では水野が教えた学生は鳴かず飛ばずであるが、自分の「妄想」を否定することなく、のびのびと育っていくのです。

「東京大学物語」のセカンドストーリー、「医学部物語」

「東京大学入学」が今では猫も杓子も医学部へ、の名の下に、「医学部入学」へと変化しているのではないかと考えます。

東京大学(医学部)に入れば後は官僚(医師)、エリートコースまっしぐら

という関係にあるのでは無いでしょうか。

ふとここで、「今の自分には、どれくらい妄想する力が残っているのだろうか。」と考えてみます。

医学部合格→CBT合格→実習→国家試験合格→初期研修医→後期研修医→………と、既に敷かれたレールを基準に妄想することばかり考えてしまってはいないだろうか。

私の場合、既にトロッコは動き出しており、ここから降りることはすなわち、コレまでの「努力」を一旦否定することになるでしょう。努力を否定することが悪い、という訳ではありません。
ただ、その「今の努力(試験で点数を取る)を良しとする」価値観が、健全なものであるのかどうかは疑う必要がある、というただそれだけのことです。

 

東京大学物語の作者である江川は、「あとがき」で更にこう続けています。

妄想を守るための妄想を繰り返すと妄想力は低下し、現実との折り合いがつかなくなり、それを埋めるため、誰かが自分を陥れようとしたんだとか、疑心暗鬼になり悪い妄想の虜となり、何もかもが信じられなくなり現実をシャットアウトし、妄想の中に入り込み、どんどん自分のネガティブな妄想で自分を不幸にしていってしまう。

『東京大学物語』 34巻 ”あとがき” より

例えば臨床科目の授業が始まれば、朝9時から18時の半分は授業。残りの時間の大半も講義の予習や、復習に割くことになりました。

また医学部では学年の大半が所属することとなる部活動に入った場合、週2~3の夕方~夜はその活動で時間を使うこととなるでしょう。結果的に自分の妄想をふくらませる時間、というのは非常に少なくなります。

妄想する時間が無いのは、医学部、大学生に限った話ではない。

現代は「可処分所得→可処分時間の奪い合い」だとされ、ちょっと時間があると思ったらサブスクリプションの動画サービス、各種SNSを見て時間を使う。
結果として、「自分の時間」というのはほとんど無くなってしまうだと感じます。

義務教育→高校→大学、と「社会的に」良いとされる場所に辿り着くために妄想パターンを減らされ[^1]、残った時間はSNSや各種動画サービス、ネットニュースの閲覧で削り取られていくのでしょう。

 

現実、つまり「どこまで理解しているか」「どこまでは確実にそう言えるのか(毛瘡ではないのか)」、という線引を、意識的に行う。

それによって、都合の悪い現実と自分が作り出した妄想を分離する

都合の悪い現実の方は受け入れ、新しい妄想をどんどん生み出していける、そんな時間の使い方を意識していきたいものです。

 

現在、東京大学物語はKindle Unlimitedで全巻購読することが出来るので、お時間がある方は読んでみることをおすすめします。

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[^1]: この漫画では、既存の学校教育は子供の妄想パターンを減らす、言い換えれば「柔軟な思考を止めさせる存在」の象徴として描かれている。

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