問題を解く時、みなさんは何を意識していますか?
- 問題を理解して解くこと
- 問題を数こなすこと
- 人に説明できるようになること
etc…
先日、この様なツイートをしました。
試験なんてクソだ。
理解なんてどうでも良い。その試験範囲の内容に関する知識の、利用可能性を上げて、試験中にそれが頭から引っ張り出す、ただそれだけで良いのだ。
試験の面白いところはどこかというと、
「それ(=利用可能性を高める)ことが実際は難しい」
点ですよね。— ジョン (@John8__8) December 23, 2021
ううん‥我ながらすごいチクチク言葉。気をつけましょう。
「理解なんてどうでもいい」と言い切っていますが、一体何を以て「理解」としているのでしょうか。気になりますよね。今日は”理解”という言葉の意味について考えながら、価値観の擦り合せ、について触れていきます。
”理解”を定義する
「ヒトがどうやってモノを理解しているのか」は明らかになっていない←この前提を受け入れる
「試験に合格しても試験内容に関して理解しているとは言えない。だから私は試験勉強が嫌いだ」
これは、暴論だ。そんなことを言い始めたら、試験が受けられない。
だから、そこは受け入れようと思う。
試験に合格するために、「試験範囲となっている問題をひたすら演習する」という対策方法を取る人が多い。この時にしばしば用いられる考えが、「理解したと思ったらその問題はもう解かない」というものだ。
「理解した」と「思った」???なんだそれは。
突然「理解」を持ち込むなよ、と言いたい。
どうしてこの様な現象が起こるのか。
ヒトがどうやって物事を「理解」しているのか、が曖昧なのだ。
だから、もし「理解」を試験対策に導入したいなら、それなりの定義が必要だ。
なぜこうまでして、定義することが必要だと私が強調するのか。
それは
「理解の定義が無いと、他者と自分の理解を共有することが出来ないから」
である。
例えば
「その問題を解くことに必要とされる知識を他者に説明する/外部にアウトプットすることが出来る時、”その知識を理解している”とする」
という定義をしよう。こうして定義することで、話を進めることが出来る。
すべての問題に於いて、この問題を解くことに必要とされる知識を、予め決めておく。
こうすることで、擬似的に「理解」他人と共有することが出来る。つまり、”理解”しているかどうかそのものはわからないが、「この問題を解くことに必要とされる知識」を定めることで、理解を代用しよう、ということだ。
今回は簡単にCBT, 国家試験、USMLEの問題をそれぞれ例に取って考えてみる。
(問題によって必要とされる知識は違うので、あくまでも1例であることに注意)
(それぞれ理解しなくてはならないことをタグ付けして置くと良いだろう)
(それぞれの項目で理解しておく内容も、詳細に記載しておく)
例1: CBT
説明項目
- エステラーゼ染色は骨髄の単球系細胞の同定に使用する。
- PAS染色は骨髄では白血病、貧血の鑑別方法の1つとして用いる
- 鉄染色は、骨髄での鉄代謝異常を知る上で重要である
- May-Giemsa染色は骨髄の細胞染色で用いられる。末梢血の染色にも用いられる。
- Nissl染色は神経組織の染色に用いられる。
- 粗面小胞体、ポリソームに親和性が高い(副次的)
例2: 医師国家試験
説明項目
- 再生不良性貧血の治療
- Stage2aが治療の分かれ目(→再生不良性貧血のステージング)
- シクロスポリン(全例)、経過を見て免疫抑制療法を行う。
- 免疫抑制療法の副作用を抑制するため、ステロイドを使用することもある
- 併用薬として抗胸腺細胞グロブリン、トロンボポエチン受容体、蛋白同化ステロイドを用いる
- シクロスポリン(全例)、経過を見て免疫抑制療法を行う。
- 汎血球減少を見たときの鑑別
- ここから、再生不良性貧血との診断を付け、治療法を選ぶ(はず)
例3: USMLE STEP1
説明項目 ( [[]]カッコはObsidian ノートを作るときのタイトル)
- 血小板だけが上昇する疾患、essential thrombocythemia(本態性血小板増加症の血液検査所見)
- 脾腫の鑑別
- [[sickle cell disease]]では脾腫が生じるものの、血小板数は正常のハズ(鎌状赤血球症で見られる血液検査所見)
- [[polycythemia vera| 真性多血症]]では血小板以外にRBC, WBCが増加する(PVで見られる血液検査所見)
- 血小板に関する知識
- [[thrombotic thrombocytopenic purpura|TTP]]は多数の血小板を含む血栓が微小循環において広範に形成される疾患(TTPの病態)
- [[immune Thrombocytopenic Purpura|ITP]]は血小板への自己抗体が生じ、血小板数が低下する疾患である(ITPの病態)
「それぞれの項目を理解する↔問題が解ける」ではない
「問題から抽出した課題について説明できるかどうか」を「問題の理解」とすることは上で述べた通りである。
Ankiを使用している方は、デッキが共有できるということを知っているだろうか。自分が作ったAnkiカードを、友達と共有することが出来るのだ(著作権には十分配慮してください)
USMLEを学習する中で使用されることが多い共有デッキに「Anking」がある。
Anking を用いることのメリットは数多く存在するが、そのうちの1つが暗記対象となる「知識」が既にカードとして作成されていることだと思う。
つまり、上の「説明項目」でアンダーラインを引いた部分を覚えるためのAnkiカードをすぐに演習することが出来る、ということだ。
例えば、USMLEの所で紹介した問題の説明項目に関して、以下のようなカードがデッキに既に含まれている。
ココまでの流れをおさらい- 「テスト合格に理解は必要?不要?」
長くなってきたので、ここらで本記事の「目標」を確認してみましょう。
試験対策とかで度々用いられる「理解」という言葉。そこに違和感を感じる。
”理解”の幅が広すぎて、「結局本人の努力ぢゃんそれ」の域を出ない気がしている。
↓
分かった。じゃあ ”理解”を定義するわ。
↓
定義だけじゃ分かった様な気にしかならないから、3つくらい例出すわ(CBT, 国会試験, USMLE STEP1)
↓
これで”理解”の意味が共有できたね。これから「理解することを以て問題を解いたとする」って言った場合の”理解”はこの意味で使用しています。←今ココ
↓
「試験に合格すること」と「理解すること」の関係について考えてみよう←Next!
試験に合格するためには何が必要か?
「試験合格」を定義する
先ず、「問題を理解しているか否か」「問題に正解するか否か」のそれぞれ、2×2の表を作成して、考えてみましょう。
この中で、AとCの領域にある部分は正解できており、点数を獲得することが出来ます。
逆に、BとDの領域にある知識は正解できておらず、点数になりません。(部分点とか、そういう細かい部分に関しては省略しています。)
例えば、1点/問×10問=10点満点のテストを受けることを考えましょう。
簡単にするために、一問一答形式で出題され、試験で出題される問題は予め分かっている、とします3。
合格点は‥‥、6点としましょう。
じゃあ、10問中6問以上正解できる様に勉強しないとな。
そうですね。それについて考えてみましょう。
A領域に含まれる問題の数をQaとします。それぞれB領域、C領域、D領域も同様にQb, Qc,Qdとしましょう。
試験に入っている問題はすべて分かっているとしますので、
Qa+Qb+Qc+Qd=10
となります。
テスト受験生がやることは、「Qa+Qc≧6」となるように勉強する、ということです。
Qa+Qc≧6を目指すために必要なこと
極論、Qc≧6, Qa=0でも良いのです。合計点数が6点を超えていれば、それで合格です4。
結論; 問題の理解は十分条件であり、必要条件ではない。
さて、今回の記事で伝えたいことはただ1つ。
ひたすら問題演習をすれば点数が取れるなんて、外道だ!
俺は理解重視で勉強するぜ。
最低限量が必要とは言え、最終的には量より質、だからな。
この人は、どうして問題演習を繰り返すことを「外道」だと言っているのでしょうか。
「理解重視で勉強する」とは、どういうことを指しているのでしょうか。この言い分だけでは分かりませんね。
それを提示せずに相手のことを「外道だ」と罵ること、それだけはしたくなかった。
。
。。
実を言うと私自身、「ひたすら問題演習」派が嫌いでした。
テストに合格することと、テスト範囲を理解していること、この2つを混同していたのだろうと振り返ります。
でも、今なら分かる。「ひたすら問題演習」派がやっていたことは、
問題演習を通して「領域D→領域B→領域A」もしくは「領域D→領域C」、「領域D→領域A」(稀)への移行を増やし、結果的に試験合格を目指す
ということなのだと。
試験に合格するだけならQcだけでも良い。Qaが少なくても、良いじゃないですかという。
そして、理解重視で勉強する人というのは、「領域D→領域C」という解答方法を嫌い、「領域D→領域B→領域A」という問題演習プロセスを好む人のことではないか、と。この人は、Qaだけで合格点まで到達しようとしています。
今回、2×2の表を便宜的に導入したことによって、この様な分類が可能となりました。
しかし実際問題演習をしている時には「部分的に理解している」などの概念が登場するため、この表はもっと複雑になります。
そうなった時はそうなったときで、新たに定義しなおせばよいのです。
言葉の捉え方は 十人十色, 千差万別
世界の見え方は「十人十色」、「蓼食う虫も好き好き」など、価値観、考え方が人によって違うということは数々の言葉で表現されています。
ショーペンハウアーさんの言葉を借りると、
誰もが自分の視野の限界を世界の視野の限界だと思っている
のです。
今回「理解」という言葉についてカチカチと意味を話してきました。
日常会話やTwitterなどで、この様に言葉の意味を擦り合わせることをどれくらいしているでしょうか。
自分と相手の世界の見え方が同じだと、当然の様に思って話してはいないだろうか。
細かいことはわからないが、ある一定レベルまでであれば、その「認識の齟齬」が受容できるのだと思う。だから、言葉の定義を擦り合わせることなく、話が出来る。
そして話が煮詰まってくる、専門的になってくればくるほど、言葉の定義をすり合わせることは重要になってくるだろう。
「面白い」「すごい」「楽しい」「クソ」「ヤバい」etc・・・
曖昧なまま使用している言葉はいくらでもあるでしょう。相手と話が合わないな、と感じた時には是非、「言葉の定義の擦り合わせ」をやってみてほしい。
最後に
今回の記事は、9月に出した CBT得点率9割を目指すようです。1日目: True Retention を活用!の記事の発展版、となるでしょう。
あの時は「自分の演習するAnkiデッキ≒試験範囲」とすることで、テスト対策に代用しようとしていました。つまり、得点源をQaに絞っており、Qcの重要性に注目していなかったのかもしれません。
では。
- 現実問題、こうは行きません。例えばCBTの場合は「予想問題」「再現問題」であり、問題そのものを反映しているわけではない、ということがあります。
- 実際に「1問も理解していないけど、試験に合格する」ということが可能か、ということは別に考える必要があります。具体例は出せませんが。「58歳男性の問題はステロイドを選ぶ」という風に勉強し、過去問が使い物にならなくなった受験生の話を聞いたことがあります(経験、伝聞)
- 現実問題、こうは行きません。例えばCBTの場合は「予想問題」「再現問題」であり、問題そのものを反映しているわけではない、ということがあります。
- 実際に「1問も理解していないけど、試験に合格する」ということが可能か、ということは別に考える必要があります。具体例は出せませんが。「58歳男性の問題はステロイドを選ぶ」という風に勉強し、過去問が使い物にならなくなった受験生の話を聞いたことがあります(経験、伝聞)
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